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William FisherのACS(Administrative Compensation System:行政補償制度)についていろいろと書いていて思ったのは、そもそもコンテンツ産業は「産業」なのか、という前提条件の部分。
著作権法は情報の広範な流通が難しい時代に、書籍による流通を実現しそのコストを支払う手段として発生したという経緯がある。情報の拡散にはコストがかかったのだから、それを負担する手段がきちんと整備されていなければならなかった。CDなどの音楽コンテンツに関しても同じことが言えるだろう。でも、現在少なくともインターネット上のデータに関しては、流通のコストはほぼゼロに等しい。制作のプロセスには依然としてコストは発生するけれど、流通過程で今までの書籍のような煩雑な経路が必要なくなってしまった。そもそも著作権法の役割が流通の仕組みの確立であった以上、その流通の仕組みが変わってしまった今、著作権法の在り方が書籍時代と同じでなければならない必然性などどこにもないのかもしれない。
コンテンツ産業が「産業」足りえたのはその流通経路を確保していたからであって、もしその流通経路の利用が自由になってしまったのなら、それはもはや「産業」と言えるのだろうか。いや、それでもやはり製作過程は今までと同じ産業なのだが。
著作物の流通、と一言で言ってもそこで関与してくるアクターは様々なものがある。たとえば水平分離というアプローチで情報が伝達されていく過程を分けていくと次のようになる(白田秀彰『「包括メディア産業法」への私案』より)
- 著作者(author)
- 編集者(editor)
- 伝達者(transmitter)
- 経路保持者(channel holder)
- 端末(terminal)
- 利用者(user)
著作物の流通、と言っても著作者から利用者の作品が届くまでは様々なアクターが介在する。そして、著作者(author)と編集者 (editor) をソフトウェア部門、伝達者(transmitter)と経路保持者(channel holder)と端末(terminal)をハードウェア部門とした場合、ACSが大きく関わってくるのはハードウェア部門の中の経路保持者 (channel holder)。現在のレコード会社は主に編集者(editor)、伝達者(transmitter)、経路保持者(channel holder)の役割が一緒になってしまっているけれど、それを上記の分類で水平分離化し、ACSによってレコード会社に何が残るのか、ということを議論することで、レコード業界に限らず今インターネットによる変革が起きている中で中間業者に何が出来るのかが明確になるのではないだろうか。つまり、ACS のような仕組みが導入されたとしても、編集者(editor)や伝達者(transmitter)といった機能は今後も残り得る。実際Lessig教授も Creative Commonsについて語る中で、出版社の機能として編集者(editor)や伝達者(transmitter)といった、エディターシップやプロモーションに関わる部分は今後も残っていくと以前のインタビュー記事の中で話していた記憶がある。ACSはそういったことを考える上で絶好の材料になると考えている。
— コンテンツ産業は「産業」なのか - 雑記帳 (via pdl2h)