しばしばチューリングマシンは「紙と鉛筆を使って計算をする数学者をモデルにしている」という言い方がされるが、これは若干語弊があるように思う。チューリングの論文には、mathematicianという言葉は出てこない。あくまで紙と鉛筆と時間を資源に計算する人(computer)の計算過程を抽象化したのがチューリングマシンであって、数学者の計算過程をモデル化したわけではない。(実際、数学者チューリングがチューリングマシンのアイディアに辿り着く過程は、チューリングマシンに似ても似つかないものだ。紙と鉛筆を使ってというよりは、身体と牧場の草を使って計算をしていたのだから。)

数学者の計算過程により近いのは、チューリングマシンよりも、むしろ1939年に出版されたチューリングの博士論文*6の中で導入された神託機械(Oracle machine, O- machine)の方かもしれない。チューリングはこの論文の中で、神託(oracle)を参照しつつ非決定論的な飛躍をする神託機械の理論的な可能性に(神託は機械的には実現不可能 であるというコメントとともに)触れている。

この論文の中でチューリングは、「数学的な推論は大雑把には直観(intuition)と創造性 (ingenuity)の二つの能力の組み合わせによって実現されていると考えられる」*7 とした上で、数学的推論から直観的側面を一掃することの不可能性を論じている。(数学から直観を一掃する代わりに、むしろingenuityの方を、enumerateされた命題のリストからの探索に還元してしまうことで、ingenuityをpatienceに解消してしまおうということがこの論文の中では議論されている。*8 patience, ingenuity, intuitionというこれら三つの概念についての考察は、その後のチューリングの暗号への関心にも繋がっていった。*9 )

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