さらにこちらでは
「ワープ構造」をしている円盤の断面の概念図。外円盤のさらに外側は、エンベロープと呼ばれる降着ガスへとつながっている。原始星に近づくにつれて密度や温度が高くなるため、電波強度も高くなり、実際の観測データでは中心付近が最も明るく見える。内円盤と外円盤で回転軸の傾きにずれがあるため、このような構造となる。
credit: 理化学研究所
2019.01.01 プレスリリース - 回転軸の傾きがそろわない原始惑星系円盤-惑星軌道は最初から不揃い?- - アルマ望遠鏡
まえがき
序章 江戸時代の本屋というもの
第一章 本屋の日記から 風月庄左衛門の『日暦』
1 同業者集団の意義
2 古本の業務
3 風月庄左衛門の出版
4 江戸の本屋・松沢老泉の日記
第二章 本屋仲間と古本
1 同業者仲間の意義
2 本屋仲間の成立へ
3 仲間における古本部門
4 江戸時代古書市の利用規程
5 もう一つの古本流通 売子・セドリ・貸本屋
第三章 江戸時代の書籍流通
1 本屋の特殊な業務
2 本屋間の独特の精算法 本替・入銀
3 私家版と本屋
4 唐本の流通
5 草紙屋
6 地方の本屋 博多と名古屋の事例
第四章 経師の役割 書物の担い手として
1 明治初期の古本屋
2 出版界の激動 明治二十年問題とは
アルブレヒト・デューラー『北天図』
「普通なら地球からみた天球の配置で星図を描くと思いますが、この図は天球の外側から見た星図を描いています。展覧会を見る時の視点として、「この図はどこから見た図なのか」という疑問を頭に浮かべて見ていくとおもしろくなります。
このデューラーの星図は神の視点で描いたと言えるかもしれません。他の、地球からの視点で描かれたものとぜひ見比べてみてください。」
チューリングもまた、愛の欠乏を強いられた少年であった。チューリングの父はインドに赴任していた行政官で、チューリングは兄とともに、イギリスに住む退役軍人の家庭に預けられた。もともと元気で誰とでも友達になる子どもだったチューリングも、九歳になった頃には、夢想的で非社交的な性格に変わっていたと、後に母は述懐している。*2 生命と非生命、人間と機械という表層的な差異の向こう側に、両者を貫く数理的原理を見出そうとする執拗な情熱は、あるいは失われた母との温かな抱擁を求める、この少年時代の渇望のうちに育まれたのだろうか。
人間の寸法を超えて、宇宙的な想像力へと跳躍するために、人間の尺度における決定的な喪失が、その契機となる場合もある。「人倫を超過する者が人倫の師となる」*3 という言葉があるが、ニュートンにしても、グロタンディークにしても、チューリングにしても、まさに「天地の間にあって、人倫を超過」してしまった人たちだった。
チューリングは確かに機械を愛した。しかし、決して人間を機械に還元しようとしたのでも、人間と機械の区別を無効化しようとしたのでもない。チューリングにとって、機械と人間の区別は、はじめからそれこそ「なめらか」*4 だったのだ。
しばしばチューリングマシンは「紙と鉛筆を使って計算をする数学者をモデルにしている」という言い方がされるが、これは若干語弊があるように思う。チューリングの論文には、mathematicianという言葉は出てこない。あくまで紙と鉛筆と時間を資源に計算する人(computer)の計算過程を抽象化したのがチューリングマシンであって、数学者の計算過程をモデル化したわけではない。(実際、数学者チューリングがチューリングマシンのアイディアに辿り着く過程は、チューリングマシンに似ても似つかないものだ。紙と鉛筆を使ってというよりは、身体と牧場の草を使って計算をしていたのだから。)
数学者の計算過程により近いのは、チューリングマシンよりも、むしろ1939年に出版されたチューリングの博士論文*6の中で導入された神託機械(Oracle machine, O- machine)の方かもしれない。チューリングはこの論文の中で、神託(oracle)を参照しつつ非決定論的な飛躍をする神託機械の理論的な可能性に(神託は機械的には実現不可能 であるというコメントとともに)触れている。
この論文の中でチューリングは、「数学的な推論は大雑把には直観(intuition)と創造性 (ingenuity)の二つの能力の組み合わせによって実現されていると考えられる」*7 とした上で、数学的推論から直観的側面を一掃することの不可能性を論じている。(数学から直観を一掃する代わりに、むしろingenuityの方を、enumerateされた命題のリストからの探索に還元してしまうことで、ingenuityをpatienceに解消してしまおうということがこの論文の中では議論されている。*8 patience, ingenuity, intuitionというこれら三つの概念についての考察は、その後のチューリングの暗号への関心にも繋がっていった。*9 )
【中村】最初の経営情報室長からずっと一緒ですか。
【川俣】そうです。この辺はずっと一緒です。私どもが最初におかしくなったのは、96年12月にCPの格下げが起きたのです。建設業を取り巻く環境が変わってきたというのは、年度ははっきり覚えていないですけども、このときに前後して、公共事業が縮小していくとか、日本の製造業が海外に出ていくとか、そういうこと以外に一つ大きい問題は国際会計基準です。連結決算、時価会計、退職金給付の問題、税効果、格付けです。こういうものに誰かが会社全体として気をつけていたかというと、多分なかったのです。もちろん経理部門とか財務部門は当時から格付けをとっていました。しかし、私も役員でいましたから、役員会でそういう話をどこかの財務部門が全体として出していたかというと、そういう話はなかったと思います。
それが突然、当時、飛鳥建設の経営不安が最初に建設業で起きて、いろいろ出てきて、フジタも有利子負債が単体で7,8千億円ぐらいあったので、大丈夫なのかと言われ始めた。そういう中でNIS(日本インベスターズサービス、現格付投資情報センター)のCPの格付けが不適合になったわけです。A-2からA-3へ。
そうするとどうなるかというと、当時、当社は運転資金をCPで賄っていたわけです。あのときCPの発行が数百億ぐらい出していたのかな。それでできなくなるとと月中・期中の運転資金をメインバンクに頼まなくてはならない。そういうはめになると、銀行は全部実態を出せということになるわけです。その当時はまだ銀行から人が来ていないですから。銀行は、いいときは、借りてくれ、借りてくれと言っていたけれども、大変になるとそういう話になってしまう。
私はそのときは役員で、全店の業績を経営本部としてやっていたから、集めて、こういう事態になってどうすべきかというのを全役員と支店長の前で、まだ身分はそんなに高くなかったけれども、方針を出して行きました。CPが最初のつまずきです。建設業でキャッシュフロー経営という発想はなかったのです。【中村】それはこの時期に出てくる考え方ですね。
【川俣】特に建設省は経審の問題もあったから、赤字だと入札参加資格もなくなることもあって、売上も増やさなくてはならないということで、見かけのP/Lを重視していくのです。だから損益計算の会社なのです。キャッシュフロー経営が不在だったことと不良債権先送り型。どこの会社もそうでした。
【中村】処分するとそこで損失計上になるから、塩漬けにしておくということですね。
【川俣】建設業は、それは不動産だけじゃなくて、不良債権はいろいろな課題を持っているわけです。不動産でいうと含み損の問題がある。工事費の延滞債権の問題がある。これも不動産の損失処理と同じですけれども、税法とリンクしないので、みんな有税償却になってしまうわけです。相手先の延滞債権も、毎年計画的に落とせと私が言っても、それは税法上、相手の会社が法的整理をやるか明らかに破綻状態にならないと、その債権は落とせないという話になるのです。
後で話しますけれども、税効果会計も大きな問題で、会計処理と税法がうまくマッチしていないから、日本は不良債権処理が進まないのです。【中村】この時期ね。
【川俣】この時期というか、いまに及んでもずっとそういう問題があるわけです。かなり改善されてきましたが。
【中村】お互いというのは銀行とフジタですね。
【川俣】銀行とフジタです。ただ、後でいろいろ起こってくるわけですけども、不動産の時価会計評価の問題は大変微妙な問題であって、当時はいまみたいにREITとか私募ファンドはありませんでしたから、キャップレートという、適正な利回りで収益還元価格で不動産を評価するというのが会計事務所によって全く違うわけです。
【中村】キャップレートの設定の仕方が違うわけですか。
【川俣】それが違えば大いに違いますね。私も、当時で、それは5%と見るのか6%と見るのか。1%見れば2割価格が違ってしまうわけです。5と6ではそういう話になるわけです。そういうのはちょっと鉛筆をなめれば幾らでも評価は操作できるわけです。しかし、会計事務所でもそれはどれが適正かというのはわからないわけです。
私も、去年2月で辞めたパシフィックホールディングスが債務超過になったのは、最終的に監査法人の決算期の引当の問題です。フジタの経験でパシフィックの社長にも言ったのですが、あのときは監査法人が一方的にこの額でなかったら意見表明しないと言うので、こんなむちゃくちゃなことがあるのか、こちらの考え方、これはこういうふうに稼働しているとか、こういうふうに開発できてこのぐらいの利回りで回るからいちはこういう計算をしていて、これだけ含み損があるからそれは落とすけれども、あなたの言っているのは一方的に自分のほうの鑑定評価で、これでなければ意見表明しないみたいなやり方はないだろう、と。
最近はちょっと違っているけれども、当時の金融庁の考え方から行くと、私どもでも会社分割した半年後の決算のときに、たしか赤字になったのですが、この赤字は繰延税金資産の処理なのです。会社分割して、総資産7,8千億円あったのを6千億円と2千億円ぐらいの会社にしたわけです。不動産を持っているほうは6千億円ぐらいあって、こっちは2千億円というのは不動産を含めて再開発とか建設業に資する不動産を持っていましたけれども、会社分割は10月にやって、その次の3月決算の決算発表を5月ぐらいにやるときに、会計事務所がやはり監査にサインしないと言い出したわけです。
それはなぜかといったら、会社分割をした次の年の春先に、りそな銀行が繰延税金資産を取り崩すという問題が出たのです。私どもが会社分割して、たしか2百何十億位、繰延税金資産を計上したものを、会社の先行きが利益をきちっと上げられる体質にないから認めないというので、私が決算発表を兜でやる日の前の晩に通告してきたのです。
それで、私は夜中に会社に呼び出され、いままで会計事務所のほうは経理部門に任せていたけれども、東陽監査法人に、あなたは会社をつぶすつもりか、わずか半年前に会社分割したときに、東陽監査法人の適正監査を受けてやっている、そのときに繰延税金資産をこういうふうに上げなさいというので上げている、だめだったらばそのときに言えば、きちっとお互いに銀行と相談してそういう処理をやっている、それで急にそういうことをやるのはおかしい、と。
あの当時、倒産した場合に監査法人の責任の問題がにぎわしていた。監査法人の内部の審査会の多数決だと言い始めたのです。私から言わせると、会社を監査したことのない代表者が多数決で何を決めるのだ、と。うちに来ているのは代表社員である昔からの会計監査人が、監査して、譲るものは譲って、それで結構ですと言うから、最終的にそれでもって決算報告書をつくる。私だって代表権を持っている人間が対外的に約束したら、約束をたがえるわけがないだろうという話になるわけです。そういうことを彼らはやったわけです。
私は、監査法人を変えてしまえと言ったのです。決算発表を一週間延ばしたのですが、延ばすと、フジタは前の年に会社分割したのにまた何が起こったのだ、こういうふうになりますよね。つぶすのかという話になったわけです。最後は銀行の支援を取り付けて、一週間後ぐらいに、赤字にして、それは見解の相違で、繰延税金資産をこういうふうに落として債務超過になるけれども、これは優先株を銀行が入れることによって解消するという解決策を打ち出したのです。
あの当時、仕組みができていないと言えばそういう話だけれども、きちっとした同じ統一のルールというとこですべての監査法人が対応していない。私に言わせると、いまもそうだけれども、会計と税務の不一致があって、おまけに繰延税金資産なんていうややこうしものがあるから混乱するわけで、不良債権処理を促進するのだったら、販売用不動産でも評価損で落としたら損金で無税償却を認めればいいわけです。簡単な話なのです。それを認めないで、税は税で取りたい、会計は会計でと言っている。企業の実態もわからなくなるというような話ですね。
話は飛びますが、REITをきちっと復活させて不動産のマーケットを健全に動かしていかないと、日本経済は内需がうまくいかないという中で、評価損の問題がいま出ていて、税と会計の問題が一致しないから、そんなことをやると今度はREITの仕組みが成り立たなくなってしまうわけです。そういうものをつくったのだったらば、税はぜいで税収が減るから取りたいとうか変な話ではなくて、きちっと仕組みをつくればいいのです。
その辺がないから、建設業は赤字にすると公共事業が受注できないという問題はあったけれども、私は経営上はどちらかというと途中からキャッシュフロー経営に動いていたから、できるだけ税金を払わないで、内部留保で、そのかわり悪いものは落としていきたい、という考えでした。
【中村】悪いものというのは不良債権ですね。
【川俣】不良債権。例えば、延滞債権でも、貸付金でも、これは相手がつぶれていなくても、処理できる、と。しかし、それは無税償却でやらせてもらわないと、表面上の引当だけではなく、それがきちっと仕組みとしてできていれば、もっと日本の不良債権処理はうまくいったのです。だから、金融の問題と税・会計の問題が一番大きな問題で、それはこれからも起こってくるのです。
【中村】銀行側もそこでは認識は一致しているのですか。
【川俣】金融庁の検査で、銀行によって債務者区分が違う、引当率も違うのです。金融庁が一律にすればいいわけです。それをしないから、銀行も余分に引き当てたものは全部有税です。だから繰延税金資産との連動の話です。
健康な人は本を読まない。そもそも本を必要としない。必要とするのには選ばれた人で、古典だけでいいのである。デカルトの時代は読むべき本は少なかったが、そのすべてを読んで加えるべきものはなかったという。奇思すでに古人に尽きたり、妙想すでに西人に尽きたり、われまた何をか加えんと故人はいったけれども、同じことでも同時代人の口からきくのはまた別格である。だから本は出てもいいが明治大正までの初版五百部か七百部でいい。版元も書店も家業でいい。
日本語で「い」を付けて形容詞になる色は「白、黒、青、赤、黄色、茶色」の六色だけでこのうち「色」無しで形容詞になる最初の4色だけが日本に古来からある色の概念らしい。中国由来の陰陽五行説でも東西南北にそれぞれ守護神がいて(蒼龍、朱雀、玄武、白虎)それぞれにその4色が割り当てられていた
正月恒例の東京都写真美術館。雅楽演奏でamazing grace。




